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日本における蓄音機の父
アメリカの貿易商F.W.ホーン -
平成18年、明治を代表する建物として「登録有形文化財」に登録
明治時代、日本に滞在する外国人たちが日光の歴史、文化、自然に魅せられ次々にこの地を訪れました。日本で初めて蓄音機・レコードの製造販売を行った日本蓄音機商会(日本コロムビアの前身)を創設し〝日本における蓄音機の父と呼ばれるアメリカ人F.W . ホーンもそのひとり。彼が建てたこのアメリカスタイルの別荘は、当時の日光の匠の粋を尽し、時間を惜しむことなく「乱れ石積み」の技法を用い、壁面全てを日光石で積み上げた貴重な近代遺産です。
また、終戦時の外務大臣・重光葵が東京大空襲で家を失った際に、一時この邸宅に疎開され、ここから降伏文書の調印式に向かわれました。そんな歴史やドラマを背景に昭和五十二年、明治の近代遺産としての姿を残しつつ、 「西洋料理 明治の館」としてオープンいたしました。
その後、平成十八年、明治時代を代表する貴重な建造物として『登録有形文化財』に登録されました。
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*(写真上) 重光葵外相が降伏文書の調印式から戻ったあと認められた自筆の書。李白の漢詩。
(右側)『三杯通大道 一斗合自然』 と昭和20年の秋の日光を綴った句。
(左側)『山は雪 里は錦 紅葉かな』 が書かれており、現在も明治の館に残されています。
(右側)『三杯通大道 一斗合自然』 と昭和20年の秋の日光を綴った句。
(左側)『山は雪 里は錦 紅葉かな』 が書かれており、現在も明治の館に残されています。
明治の館に所蔵されている当時の蓄音機やレコードのコレクション。
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F.W.ホーンの日米蓄音機商会(日本コロンビアの前身)で日本で初めて作られた蓄音機
メイドインジャパン1号機
メイドインジャパン1号機
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蓄音機で聴かれていた
当時のレコードの数々