明治時代、日本に滞在する外国人たちが日光の歴史、文化、自然に魅せられ次々にこの地を訪れました。日本で初めて蓄音機・レコードの製造販売を行った日本蓄音機商会(日本コロムビアの前身)を創設し〝日本における蓄音機の父と呼ばれるアメリカ人F.W . ホーンもそのひとり。彼が建てたこのアメリカスタイルの別荘は、当時の日光の匠の粋を尽し、時間を惜しむことなく「乱れ石積み」の技法を用い、壁面全てを日光石で積み上げた貴重な近代遺産です。
また、終戦時の外務大臣・重光葵が東京大空襲で家を失った際に、一時この邸宅に疎開され、ここから降伏文書の調印式に向かわれました。そんな歴史やドラマを背景に昭和五十二年、明治の近代遺産としての姿を残しつつ、 「西洋料理 明治の館」としてオープンいたしました。
その後、平成十八年、明治時代を代表する貴重な建造物として『登録有形文化財』に登録されました。